オリジナルヤンデレ小説

mixiヤンデレコミュ合同誌
日本病的恋愛譚
"にほんヤンデレものがたり"掲載

偽りの代償

【原典:安珍と清姫の物語】

有栖山 葡萄

オフィス街のこじんまりとしたレストラン。ランチタイムをはずし落ち着いた時間に、男二人が顔を突き合わせている。

「成瀬、昼間から呼び出して悪かったな」

「いや、ぜんぜん平気だ。何年ぶりだ?」

「三年だな、長かったような短かったような。まぁ乾杯」

昼間だというのに、二人はウェイトレスが持ってきたビールグラスを片手に乾杯をして、再会を祝う。

「安居君のぉ、本社復帰を祝して」

「あはは、ありがとう。またよろしく頼む。どうにもこっちの情勢に、疎くなってて。三年離れて、知らない顔ばかりだし」

「浦島太郎ってか。うちは入れ替わり激しいからな、まぁおいおい慣れるって。まずは、復帰記念の合コンだ」

「何でいきなりそっちの話になるんだよ」

いきなりの話の振り方に、呆れて返す。

「とりあえずの遊び相手くらい、いたほうがいいだろうよ」

「おいおい」

それが一番手っ取り早い復帰だというのは、二人は一緒に遊んでいて感じていた。野郎一人では行動範囲も広がらないし、情報に対するアンテナの立て方も違ってくる。

「いやな。おまえと学生時代からの付き合いだって話したら、セッティングしてくれって話が結構来ててな。どでかい新規事業引っさげて本社返り咲き、そんな独身男性にお目通りかないたいってとこだろ。俺はそのお零れに預かろうって魂胆さ」

「なんかあんまり嬉しくない話だなぁ」

「ま、その程度には注目されてるってことだぜ。鮮度のいいうちに売れるだけ売っとけよ。お、料理も来た事だし食うか」

ははっと気楽に笑う相手に呆れながらも、安居は昔とかわらないやり取りにほっとしていた。そして二人は前菜に手をつけはじめ、しばらく互いの近況報告や、雑談をしていた。

急に話題が変わったのは、デザートも食べ終わりゆっくりとカフェを飲み始めたときだった。

「ときに。向こうでこっち関係の話なかったのか? というよりも、なんかあるんだろ。しかも切り出しにくいと」

成瀬は突然言うと、小指を立てにやっと笑っている。

彼は好奇心旺盛で色々と聞いてくるが、口は堅いし困った時は相談にものってくれる。それに切り出しにくい話だったりした時には、タイミングよくきっかけを振ってくる。なかなかに侮れない奴だった。

「その勘のよさというか、切れ味は変わってないな」

安居は一瞬表情を曇らせ、おもいきって昨夜の出来事を話し出した。

三年前の夏。

安居が新人研修を終えて配属になったのは、彼には今まで全く縁の無かった近畿地方のある街の営業所。そこで住処として会社が用意してくれたのは、築三十年のレトロなアパートだった。お世辞にも綺麗とはいえないが、古さが落ち着いた心地良さをいい具合に醸し出している。

「こんにちは。今日からお世話になります安居です」

彼が入居の挨拶と鍵を受け取りに訪れた大家宅は、アパート隣の平屋建てだった。玄関でチャイムを押し、声をかける。

「はーい」

奥から元気な声が聞こえる。とととっと、軽い足音が聞こえ玄関の引き戸が開かれ、そこに制服姿の少女が現れた。

「こんにちは、安居さんですね。お母さんは今出かけてますけど、鍵を預かってますよ」

鈴の音のようなコロコロとした澄んだ声。それに顔は、幼い可愛さと成長過程の美しさが混在している。人目を引く肌の白さを、つややかでまっすぐな黒髪がさらに引き立てていた。

幼い可愛らしさに女性の美しさを秘めた、一瞬にして心奪われ驚くほど綺麗な娘だった。

透き通った美しさ。

それが彼女──清美への第一印象だった。

そして数日もしないうちに、清美の受験勉強の家庭教師をして欲しいと頼まれた。それは、彼女が言い始めた事だった。なかなかに優秀な生徒で、一度コツを教えればすらすらと解いていく。そして努力の甲斐あって、彼女は目的の高校に入学する事が出来た。家から電車で通え、偏差値も高い学校だ。本人は『制服が可愛いから』と、今日日の若い子の言いそうな理由を周りには言っていたが、本当のところは大学受験を視野に入れてそれなりのところに入ろうという目標を持っていた。

「私、東京の大学に行って、お兄ちゃんと一緒に暮らすの」

「清美ちゃんが一緒にいてくれるなら喜んで連れて行くよ」

安居が気がついたときには、清美は彼の事を「お兄ちゃん」と呼んで懐いていた。安居もそんな彼女を好意的に見ていたが、それは恋愛感情というよりも妹を可愛がるようなものだった。母親との二人暮しの中、身近な男家族として頼られていると。

念願の入学式当日。母親がどうしても行けないとのことで、安居が清美に付き添ったその帰り。清美は真新しい制服を嬉しそうにひらひらさせながら、彼の目の前を歩いている。

「やったっ! お兄ちゃん、番号とメアド交換しよっ」

合格祝いに買った携帯を、自慢げに印籠のように突き出す。

「あぁ、そうだな」

安居が携帯を見せると、彼女は慣れない手つきでぽちぽちと操作して、一番目に彼の名前を登録する。やたらニコニコしている清美に、彼はパスワードの設定もしておくように教えた。

「じゃあ、お兄ちゃんの誕生日で」

安居が「教えたら意味無いだろう」と笑って言うと、彼女は「お兄ちゃんと私の二人しか知らないからいいの」と言ってぽちぽちと設定している。

「そうだ、お兄ちゃんの携帯も私の誕生日をパスワードにして、おそろいっ」

そんなお揃いは聞いたことはないが、路上で首に巻きついておねだりをしてくる彼女に負けて、設定を変更した。そんな些細な事で喜ぶ彼女を見て、微笑ましくなり心が和んだ。

清美は高校に入ってからも、平日は勉強を教えて欲しいと部屋に遊びに来て、休みになると一緒に出かけようと誘ってくる。 安居もそれに応えて出来るだけ空いた時間は、彼女と一緒に過ごしていた。二人でいる時間は楽しかった、単純に。

ある週末の朝。

「お兄ちゃん! いつまで寝てるのっ、今日は一緒に遊びに行く約束でしょ」

彼は一生寝ていたいと思うくらいに疲れきっていたのに、無理彼女にやり叩き起こされた。大家の娘で鍵を持っているのはいいが、勝手に部屋に入ってくるのはどうかと思った。

「うぅ、もう少し寝かせてくれよ。明け方近くまで飲んでて完全に二日酔いなんだよ」

ぐったりと布団に寝ていると、耳元で空鍋をお玉でたたく金属音が響く。たまらない。どこの漫画で覚えたのか知らないが、これは完全に犯罪行為だ。

「清美ちゃん、それはやめてくれ」

安居が無理やり起き上がって清美を止めようとしたら、目の前に錠剤を載せた彼女の手が差し出されていた。

「はい、二日酔いの薬。それとあとはお水」

清美は手にしていた鍋をテーブルに置くと、水の入ったコップを彼に手渡した。

「今日はあきらめるから、明日連れていくこと。あと、今日の午後からは宿題の手伝いをするように。じゃ、お大事に」

ぐったりしている彼とは対照的に、にこやかに手を振りながら部屋を後にする彼女。彼はその後姿に微笑みながら、薬を飲んでもう一眠りした。明日は連れて行こうと思いながら。

しかし翌日、安居はゲームのやりすぎで眠かった。

「なにいってるのよ。私の受験勉強見てたときに、課題を出して終わってなかったらものすっごく怒ってたくせに。遊びと勉強は切り離せって」

「それとこれとは全然話が違うだろ、後一時間寝かせてくれ」

剥ぎ取られた布団をもう一度頭からかぶる。

「ちがわないもんっ。もう、今日は一緒に新しく出来たショッピングモールに行くの。昨日だって我慢したのに、絶対に約束守ってもらうからっ」

そういうや、清美は布団に飛び乗って安居を踏みつけた。

「ぐぇっ、やめてくれ、折れる、死ぬっ」

彼が大げさに苦しむと「そんなに重くないもん」と言って、彼女は更に激しく足でグリグリと踏みつけてくる。彼女の足が臍のあたりから、徐々に下がってくる。

「わかった、起きるから、頼む、やめてくれ、というか、そこは、危険だからっ」

踏みつけられるたびに言葉を途切らせながら、タイミングを計って彼女の足元から抜け出す。

「ひゃっ」

急に足元が変わってバランスを崩した彼女が、上に倒れこんだ。抱きしめるような形になり、彼女の顔が目の前にある。

清美の大人びてきた顔は、透き通る白い肌と共に色気を感じさせた。じっと見つめあう形になり、時が止まったように身動きできなかった。ただ、徐々に彼女の頬が赤くなっていくのを見、彼は自分の高鳴る鼓動に時間が流れていると感じる。

「お兄ちゃん……」

彼女の表情が変わる。瞳は驚きから羞恥、そしてある感情を映し潤み始める。時折見せる、彼女の表情。安居はその表情の意味を察知して、慌てて身体を引き離し起き上がる。

「清美ちゃんの勝ちだ、起きるよ。約束どおり、出かけるか」

そういって、降参といった風に両手をあげる。彼女は一瞬戸惑いそして残念だという表情をするが、すぐに笑顔になる。

「じゃあ支度するから、清美ちゃんも準備しておいで。家に迎えに行くから」

「はーい、でっきるだけ早くねっ」

彼女は素直に従うと、自分の家へと戻っていった。

玄関を出る彼女の後姿を見て、危うい関係だと自覚する。時折見せる彼女の表情は、明らかに肉親に近い者を見る目ではなかった。安居は既に清美の気持ちに気がついていた。

「そこまで判って、気がつかない振りをし続けたのか?」

呆れたといわんばかりの口調で、成瀬が口を挟む。

「そういうことになるのかな」

「全く、一体なにやってんだよ」

ため息混じりに成瀬が、二杯目のカフェを頼む。

「なんとなくだが、話の先が見えてきたぞ。お前、まさか?」

成瀬はそこで言葉を区切り、安居を真正面に見据える。

「あぁ、そのまさかだ」

成瀬の落胆した表情に、彼は言葉を詰まらせたが話を続けた。

「俺は逃げてきた」

安居は一人だけ、清美にだけは東京へ戻ることを話していなかった。会社の送別会で酔った身体を夜風で醒ましながら、どうやって切り出そうか考える。もう明後日には発つというのに、考えが纏まらないままにアパートにたどり着いた。

帰りついた部屋に明かりはついていない。玄関を開けると、彼女の靴があった。安居は驚き、暗闇に向かい「清美ちゃん?」と小さく呼びかけた。

真っ暗な部屋の中央に、カーテンから漏れる月明かりに浮かび上がり、じっと座っている彼女が見えた。清美は声に反応してゆっくりと視線を向ける。そこに居たのはいつもの元気な彼女ではない。ゾクリとする視線に射貫かれる。

「お母さんから聞いたけど、東京に戻っちゃうんだって?」

その声は冷たく、今まで聞いたこともない声だった。あまりの強さに「あぁ」と答えるのが精一杯で、それ以上何もいえなくなった。確かに彼は、口止めはしていなかった。

「どうして、私には言ってくれなかったの」

確かにどうしてだろうか。彼女にはなぜか伝えられずにいた。

「ずっと一緒だって言ったよね、東京に連れて行ってくれるって言ったよね。どうして、何もいわずに行こうとしたの?」

彼女は立ち上がり、じっと見つめてくる。

「そんなの嫌だよ、一緒だって、約束して欲しいの。だから私」

衣擦れの音がする。彼女が身にまとっている服を脱ぎ、床に落としたパサリという音がやけに大きく聞こえる。

「おねがい。約束に……して、欲しいの」

月明かりに映る彼女の肢体は、美しかった。その魅力に抗う事が愚かに思えるほどに。しかし、必至に振り切る。

「だめだ、清美ちゃんは未成年だ。そんなことは出来ない」

いっている事は至極もっともで、理性的な対応だ。しかしそんな冷静さが、逆に彼女の感情を逆なでする。

「どうしてっ。好きな人に抱いてもらうのはいけない事なのっ? それとも、本当は私の事なんて嫌いなのっ?!」

彼女が迫る。

「嫌いなわけない」

「じゃあっ!」

彼の理性が押しとどめる。ここで抱いてしまっては駄目だと。

安居は一つの結論を出す。

「わかった。だけど一つだけ聞いてほしい」……

それはその場限りの言い繕いだった。しかし彼女は彼の言葉を信じた。大好きな彼の言葉を信じた。

「うん、約束だよ。でも、今日は一緒に寝てね」

その夜彼女は彼の腕の中、嬉しそうに話を続け静かに眠りについた。そして、彼女が目覚める前、そっと支度をすると、安居はその部屋を後にした。

「そして彼女の元を何も言わずに立ち去り、今にいたる、と」

「まぁ、そういうことだ」

一通りの話が終わると、成瀬は状況を一言で纏めた。

「しかしそれにしても、お粗末な対応だな、お前にしては」

「どういう意味だ?」

「言葉のまんまだよ。その場しのぎの嘘で逃げるなんて、逆に彼女を傷つけることになる位わかるだろ。おまえは彼女の気持ちを過小評価しすぎてる、一体どこの恋愛初体験の中坊だよ」

「確かに、そういわれても仕方ないよな。ただな……」

安居は一旦言葉を区切り、そして続ける。

「あのまっすぐな目が怖くてな。何もかも吸い込まれてしまいそうな、まっすぐに澄んだ目がな」

「若さゆえの直情か。それも悪くないが、確かに怖くなるのも判らないでもないな。でもやっぱりきちんと話をして、去るべきだったろう。十七なら話がわからない年齢でもないだろ」

「まぁ確かに、それはその通りだな」

安居は成瀬の言葉に、反論できず視線をテーブルの上に落としていた。しばらくの沈黙。

「なんか授業でやった、安珍と清姫の話を思い出したよ」

「いきなりなんだよ」

成瀬の突然の話の変わり様に、驚いて安居は顔を上げる。

「いや、なかったか、そんな話。旅の坊さんが身寄せしている家の娘に熱烈な好意を向けられて、返事に困り果てたそいつは適当な嘘をついて逃げて立ち去ったって話」

「なんだそれ、まぁ当たらずも遠からずって話だけど。良くそんな話覚えてるな、俺はぜんぜん記憶に無いぞ」

「じゃあ、その話の続きも覚えてないわけか」

「なんだよ、続きって」

成瀬の顔が一瞬顔が曇る。不安が一瞬にして安居に伝染する。

「いや、その振られた娘がな。裏切られたことに気がついて後を追うんだよ、坊さんの」

「後を追う?」

「あぁ、追いかけるんだ。延々と。ずっと走り続けてぼろぼろになりながらもね。ついには蛇の化生となった彼女が、寺に逃げ込んだ彼を追い詰めたんだ。坊主は寺の鐘に隠れていたんだが、草鞋の紐がはみ出ていて見つかって、最後には蛇が鐘に巻きついて焼き殺しちまうんだよ」

「うわ、えげつない話だな」

「女の情念の怖さだな。まぁ、その後死体を食ったりしないで自害したような物語になってるから、まだ綺麗な話だよ。現代でそんな化生になるなんて話はナンセンスだけど、いつの時代も女は魔物だからな。いくら若い子だからって気をつけとけ」

「脅かすなよ」

「それぐらいまずい対応だったってことだよ。ま、なんかあったら相談に乗ってやるよ。じゃあ、そろそろ行くか」

成瀬が店員に会計を頼むと、丁度安居の携帯が震える。画面を見ると良く知った名前が出ていた。清美の母親からだ。

「はい、安居です」

「こんにちは、すみませんお忙しいところ。つかぬことお伺いしますが、うちの清美から連絡ありませんでしたでしょうか」

「清美ちゃん? いえ、ないですけど。一体どうしたんです」

「先程学校から、登校していないと連絡がありまして。清美の部屋を見に行ったら、安居さんに会いに行くとメモが」

「なんですって?」

安居の顔から音を立てて血が引いていく。

「そちらに連絡が入ってるのではないかと思いまして」

「いいえ、なにも。もし連絡があったらすぐにお伝えします」

「よろしくお願いします」

そこで電話は終わる。成瀬は会計を済ませたようで、こちらの様子を見ていた。

「どうした、トラブルか? 例の彼女の名前が聞こえたが」

「あぁ、清美ちゃんが俺に会いに行くって消えたらしい」

成瀬の顔も曇る。

「まぁ、とりあえずここを出よう。移動しながら話そう」

二人は立ち上がり店を出る。しかし扉を出たところで、目の前に立つ人影に安居は体が凍りつく。

店の前には、清楚な少女が一人立っていた。

「お兄ちゃん。どうして帰ってきてくれなかったの?」

「お兄ちゃん? 誰のことを言ってるんだ。人違いだよ、君のことは知らない」

安居は慌てて口走る。彼女の表情は曇り「どうしてそんなこというの」と泣きそうになっている。

「成瀬、すまん。予定があるから先に行くぞ。払いは後で返す」

彼女に目もくれず脇をすり抜け、その場を足早に立ち去る。

「お、おいっ」

成瀬が慌てて止めようとするが、その声すら無視する。

成瀬は、残された彼女の様子を見ようと視線を向けた。彼は 目の前の少女の表情に驚き身を強張らせた。歯噛みする彼女の横顔は、先ほどまでの清楚な少女の顔ではなかった。まるで悪鬼に取り付かれたような、恐ろしい顔をしている。出逢った百人が百人とも、関わり合いたくないと思うほどに。

「お兄ちゃん、どうして逃げるの?」

つぶやきが聞こえる。すでに、安居の姿は見えない。

「人違いだなんて、そんな嘘までついて。赦せない」

彼女は立ち止まり、携帯の画面をじっと見つめている。

「お兄ちゃん、逃がさないから」

「とりあえず、撒いたはずだ。今、勝鬨橋の近くの公園にいる」

あれから三時間。安居から成瀬への連絡が幾度か交わされる。

「それにしたって、いくらなんだっておかしいだろ」

「なにがだ?」

「考えてみろ。彼女は今朝になっておまえが逃げた事を知ったんだぞ。そこからこっちに出てきて、何で出かけてる先がわかるんだ。家で待ち構えてるならともかく。しかも、三度だぞ」

成瀬に言われ冷静になり、安居は初めて気がついた。食事をした店は成瀬が歩きながら決めた店だった。更にその後、別の場所で休んでいたら、その場所にも清美は現れた。その次もだ。

どう考えてもありえないことだ、なぜ彼女には判る?

安居に得体の知れない恐怖がのしかかる。

知り得ないことを正確に知り、そして追い詰めてくる。若さゆえの直情なんて可愛いものじゃない。そんな生ぬるいものでは説明できない。彼女の想いそのものが、彼の恐怖に変換されていく。相手を愛する純粋な気持ちは、狂気にもなりえるのだと。

安居は生命の危機を感じる。何がというわけじゃない、ただそう体の芯から何かが訴えてくる。

考えろ。状況が不利なら考えろ、情報を集め整理し理論を展開し策を見出せ。しかし、焦る気持ちに思考が空回りする。

「成瀬、そういえば気になることが」

「なんだ?」

「清美ちゃんから一度も電話が無い。それにメールも入ってきてない。普通こういうときなら、どうする?」

「まぁ普通なら、しつこいくらいにかけるだろうな」

「じゃあ、何で清美ちゃんはかけてこないだろう。番号を知らないわけじゃないのに」

「何かかけられない理由があるってことか。問題はそれが何か、か。そこがわから……おい、彼女の番号着信拒否とかにしてないのか」

「いや、やってない。考えもしなかった」

「そこだ。彼女がかけられない理由は」

「どういうことだ」

「着信拒否にされたら困るってことだよ、理由はわからんが。なんにしても、この電話切ったらすぐに設定しろ」

「あぁ、わかっ……」

「おい、どうした?」

「もう、遅かったかも、しれない」

安居の声は震えている。電話に向って成瀬が叫ぶ。

「おいっ! 安居、やばいぞ逃げろっ!」

清美は一歩、また一歩、確実に安居のもとへ足を進めている。

「なんでここに……だめだ、逃げられない」

再び現れた彼女に絶望する。安居の心が、折れた。

「どうして逃げる必要があるの? 私のことを愛してくれれば、それだけで良いんだよ。嘘をついて逃げた事は悲しいし、赦せない。だけど、私を愛してくれるなら、傍にいてくれるなら、すべて許してあげる。大好きだよ、お兄ちゃん」

安居は恐怖に、身じろぎひとつできず声ひとつ出せない。

「もう離さない。ずっと一緒だから」

その言葉を最後に、電話が切れた。

成瀬は最後に安居が言っていた勝鬨橋の公園に急いだ。大して広くもない公園に、人の気配はなかった。

成瀬は安居に電話する。どこからか着信のメロディーが微かに聞こえる。音を辿りうろうろしていると茂みの隙間から暗闇にLEDの光が見える。そこには芝生の上に二台の携帯が置かれていた。ひとつは安居の使っていたものだ。もう一台はおそらく清美の携帯。成瀬はそちらを拾い上げ、画面を見る。

「あぁ、そういうことか」

画面には今立つ場所が、地図上に星印で示されていた。

                                 完

原典解説

    「死を恐れるな。死はいつもそばにいる。
          恐れなければ、それはただ優しく見守っているだけだ」
                              ────ラフィング・ブル


作中でも振られれている通り、原典は紀州(和歌山)に伝わる伝説で、清姫の想いを適当にごまかし逃げたら大蛇と化して追われまくり、鐘の中で蒸し焼きにされるという、病みのお手本のような物語である。なお安珍が逃げ込んだ道成寺は今も和歌山県日高郡に現存している。

古典での清姫は「執念深さの象徴」として蛇となったが、現代の清姫が「蛇」と化すならば、ストーキングの象徴たるGPSテクノロジーを装備した蛇となるのも頷ける。しかし…いくら暗証番号を知っていたとはいえ。清美はこの事態を想定して密かに位置発信機能を仕込んでいたことに……女の勘って怖いデスネ、恐ろしいデスネ、サヨナラ、サヨナラ。

それにしても、この手の殺され主人公がヘタレなのはお約束。二人とも幼い少女相手に空手形を切り、安珍など金縛りの念仏まで使って逃げまくるお話だったり。因果応報。

あとがき -postscript-

安居と清美はどうなったのか? 調べれば地面が大量の血で濡れているかもしれませんし、数週間後に手を紐で結んで繋がった二人の遺体が東京湾で上がるかもしれません。

この伝承には、二人一緒に「悪道に落ちているので供養してもらいたい」と頼みに夢に現れるという説や、彼女は純真無垢な娘であったと語られていたりもします。

愛した男に裏切られ捨てられ、恨みに狂いながらも相手を想い続け追いかける。一緒に居たい、ただそれだけが行動の源。純粋にまっすぐ愛していないととれない行動ですよね。

そんな強い想いを抱けることが出来るなんて、幸せなことではないでしょうか?

ヤンデレとは至高の純愛物語、そんなお話が私は好きです。

                                      2007年11月11日 有栖山葡萄 拝

「日本病的恋愛譚」あとがきより

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