オリジナルヤンデレ小説

mixiヤンデレコミュ合同誌
"ヤンデレ冷蔵庫"掲載

彼女たちの微笑み

有栖山 葡萄

「いらっしゃい、心也くん。いつもの席あいてるわよ」

そういって、綾音さんはいつもと変わらぬ笑顔で僕の事を迎え入れてくれた。

「今日はセイロン、ディンブラのいい茶葉が入荷したの。それでいいかしら?」

彼女がカウンターの中から問い掛ける。僕が「綾音さんのお薦めなら是非」と答えると、彼女は微笑み「じゃあ、とびきり美味しく淹れるわね」と柔らかい微笑を返してくれた。

僕は指定席となっている窓際のテーブルに座ると、楽しそうに仕度をしている綾音さんを眺めていた。ソファーに深く腰掛けゆったりして、窓から差し込む温かい日差しにまどろむ。ぼんやりとした意識の片隅に、この店に初めて来た時のことが浮かんできた。

僕が初めてこの店にきたのは、年が明け三学期が始まってしばらく経った頃だった。もうすぐ学年最後の期末試験が始まる時期なので、もう一ヶ月くらい前になる。初めてきたときは、こんなに通うことになるとは思いもしなかった。通学路から少し外れたところにある、この小さな店に来たのは本当に偶然だった。

その日僕は、学校でクラスメイトの優奈と喧嘩した。原因がなんだったのか覚えていないくらいだから、たぶん些細な事だったのだろう。僕にとっては。

だけど彼女は、そんな僕のことを許してくれなかった。

「心也のばかっ! どうして判ってくれないのよっ!」

彼女はものすごい剣幕で。最後には平手打ちを僕の頬に叩きつけて、走って教室から出て行った。彼女が出て行った教室に残ったのは、頬に赤いもみじをつけた僕とクラスメイトからの冷たい視線だった。

僕は小さく「はぁ」とため息をつくと、何事もなかったように鞄を手に「さよなら」と挨拶をして教室を出る。後ろ手に扉を閉めたとたん背後の教室から、クラスメイト達の「すごかったわよね」とか「あいつ、何しでかしたんだ?」とかいう声が聞こえてきた。が、いまさら戻ったところでどうにもならない。僕はその場から早く離れたくて、廊下を歩き昇降口で靴を履き替えると校門をでた。

知った顔には会わなかったが、下校時間の通学路には同じ学校の生徒たちが歩いている。そして、時折僕の事を見る視線を感じた。あんな事があったから、意識しすぎているのかと初めのうちは思った。でも、一月の冷たい空気に晒された頬の一部に痺れるような熱を感じる。視線の理由は、この痺れの原因になっている頬の手形なのかもしれない。マフラーでも持っていれば隠せたのかもしれないが、そんな都合のいいものは持っていない。だからいつもの道とは違う、人通りの少ない脇道へと入る。一度も通った事のない道だったが、人目に晒されるよりマシだ。方角さえあっていれば、多少回り道になっても家にはたどり着く筈だ。

知らない道を小一時間ほど歩いていたが、本当に人通りの少ない道だった。いや、少ないどころではない、誰一人としてすれ違う事がない。かといって、人の気配がしないかというとそうではない。繁華街と住宅街の狭間の微妙な地域で、話し声やヘタなピアノが鳴る音が聞こえ、どこの家からか判らないがカレーの匂いが漂っている。誰にも会いたくないと思って道を逸れたのだからありがたい状況の筈なのに、僕は焦りを感じる。どこか異世界に飛ばされたような、誰にも見えない世界に紛れ込んだようなそんな不安に襲われる。自然と足は速くなり、辺りの景色を見ながら幾度か角を曲がり方向を修正して家に向かう。

家に帰っても誰もいないが、そこには僕の部屋がある。間違いのない、僕の居場所がそこに待っている筈だ。ほとんど走っているような速度になっていた僕は、ろくに確認もせずに目の前にあった角を曲がった。

瞬間、何かとぶつかった衝撃を感じる。そして「きゃっ」という短い悲鳴と同時に、どさっという何かが落ちた音が聞こえた。

僕は慌てて目の前を見る。そこにはしりもちをつくように道路に倒れている女性がいた。どういう倒れ方をしたのかスカートが捲れ、白くすらりとした足と淡いピンクの下着が見えている。

さっきまでとは別の意味で頬が熱くなった僕は、慌てて視線を逸らす。彼女の周りの路上には、買い物袋が落ちていた。

「ごめんなさい、大丈夫ですか」

僕が目線に注意しながら手を差し出すと、彼女はにっこり笑い「平気よ、ありがとう」と僕の手をとって立ち上がった。

立ち上がった彼女は僕よりも少し背が低くて、そしてほっそりとした身体が小柄な印象をかもし出す。平気と言っていたけれど、彼女は目に涙を溜め「あいたた」と呟いて、服についた埃を払っていた。そんな行動は彼女を幼く見せたが、僕よりも年齢が上と思わせる落ち着いた雰囲気を身に纏っていた。

僕は落ちている袋を拾い、彼女に手渡す。「ありがとう」と受け取る彼女の優しい微笑に、僕の鼓動は早まった。ずるい。そう思うほどに、可愛い仕草をする人だ。彼女は路上を見て「よしっ」と呟くと、もう一度僕に視線を戻す。

「拾ってくれたお礼に、お茶、お姉さんにご馳走させてもらえるかな?」

「お礼って、僕がぶつかったんですから、謝るのは僕のほうですよっ」

彼女の急な申し出に、僕はあわてて返事をする。

「ん〜〜。じゃぁお詫びしてくれるなら、うちの売上に貢献してもらおうかな」

「???」と、おそらく頭の上に疑問符を載せた僕の表情を見てくすっと笑う。そして彼女は荷物を持っていない空いた手で、僕の手を掴むと歩き出した。

どこに連れて行かれるのか判らず緊張しているのが、繋いだ手から伝わったのか「そんなに緊張しなくても平気よ。とっても素敵な場所だから」と、彼女は僕を見上げるようにして微笑みかけてきた。なんともいえない二人の距離感と雰囲気に、僕の緊張はほぐれるどころか更に増していった。

「はい、到着」

彼女は鍵を開けると、アンティークな趣のある木の扉をゆっくりと押した。

「どうぞ入って。ここ、私のお店だから遠慮することはないわよ」

先に入っていくと彼女は荷物をカウンターに置き、椅子にかけてあった白いエプロンを身に纏った。

「うちは、紅茶がお勧めなの。今淹れるから、好きなところに座って待ってて」

僕は言われるがままに、一度店内をゆっくりと眺め窓際のテーブル席を選んで腰掛けた。そして、その席からもう一度店内を観察する。入口の扉もそうだったが内装も木で出来たものが多く、その一つ一つは重過ぎないけれど落ち着いた風合いを出していた。落ち着いた上品な店だな、というのが僕の感想。彼女の趣味でやっているような店で、場所も彼女の自宅の一部だって話だった。

そんなきっかけがあって、僕はこの店に毎日お茶を飲みに来るようになった。

一人座ってお茶を用意している彼女の姿を見ながら、窓からの日差しと適度な暖房に僕は穏やかな気持ちになっていく。はじめて来たときも感じた、何か懐かしい自分の居場所のような心地よさ。ぼんやりとした僕の意識の中。あの日の心地よさと、今の穏やかな気持ちが溶け合うように僕を包み込んでくる。

(心也のばかっ!)

びくっと僕の身体が跳ね上がりそうになる。突然、あの日彼女に理由もわからず罵られ平手打ちを食らった記憶が蘇る。何が原因だったのか。確かその前に彼女と僕は何かを話していた。なにかを僕が、否定したことに腹を立てたのだろうか。間違っても僕から罵声を浴びせたり変な冗談を言ったりするはずもない。しかし、こうやってそのことすら覚えていないのだから今となってみると殴られても仕方なかったのかもしれない。先ほどまでの穏やかな気持ちは霧散し、すわりの悪い落ち着かない気分になった。

それにしてもどうして、優奈の事を思い出したのだろう? ここのところ同じ教室にいるのに、僕は彼女と話をすることはなかった。以前は仲が良かったのに、あの日以来何か近寄り辛い雰囲気が二人の間にあるように思えた。ふと視線を感じて振り向くと、そこには優奈がいて胡乱な瞳で僕を見つめていたりする。けれど目があうと彼女は、視線をそらせその場から立ち去ってしまう。一体彼女に対してどうすれば良いのか、僕には正直わからないでいた。

綾音さんが、僕の目の前に白磁のポットを置きティーコージーを被せる。「心也くん専用」といって出してくれるカップも既に用意されていた。そして綾音さんは、僕の向かいの椅子に腰掛ける。

「どうしたの? 何か悩み事? お姉さんが聞いてあげるわよ」

「いえ、そんな難しいことじゃなくて。ここに初めてきた時の事を、思い出していたんです」

僕は頭に浮かんでいることをすばやく消すようにして、何気なく返した。

「そうなの? 誰かのこと考えてるような、そんな風に見えたけどな」

そういって綾音さんは肘をテーブルに預けると、顔の前で指を組み合わせた。そして僕の頭の奥にある思考を読み取ろうとするかのように、じっと僕を見つめている。

「な、なんでもないですって。本当に。あの日から、綾音さんに会いに来るのが楽しいんですから。他の娘なんて……って、なに言ってるんだ僕は」

あたふたと訳の判らない事を言っている僕を、「あれ? 私は別に女の子の事だなんて、一言も言ってないのになぁ。そういうところ、心也くんって可愛いよね」なんて、綾音さんは悪戯っぽい笑顔で見つめる。その表情に、僕の顔は急激に熱を持っていった。鏡で見れば真っ赤になっていることだろう。

「意地が悪いです」

「ふふっ、ごめんね」

全然謝ってない表情で僕を見つめる綾音さんから視線を逸らせ、表を見た。

「あれ? この間張ったバイト募集の紙。剥がれちゃってますね」

二日前、綾音さんは突然思いついたように「バイトの子が欲しいわ」と、僕の目の前で募集のチラシを書きはじめたのだった。僕以外のお客を見たことのないこの店に、本当にバイトが必要なのか疑問だったが、「その方が、心也くんと話す時間が出来るからよ」と、とんでもない事をさらっと言いニコニコしながらチラシを仕上げていった。そして僕に、「好きなところに張ってきてね」とテープと一緒に手渡したのだ。僕は一応真面目に考えて、店内じゃ意味がないと思い、表に見えるガラスに貼り付けた。それが剥がされてなくなっていたのだ。

「あぁバイトの子、決まったのよ。チラシを張ったその日だったかな? 心也くんが帰ってしばらくしてから、女の子が来てね。私の好みの子だったから、その場で採用しちゃった」

そんな無責任なと呆れる僕に、「女の勘よ」と綾音さんは片目をつぶってみせた。彼女が壁にかかった時計を見る。時間はそろそろ十六時になろうとしていた。

「そろそろ着替えて降りて来る頃かしら」

綾音さんが言い終わるとほぼ同時に、扉の開く音が聞こえた。

「おはようございます」

僕と綾音さんは、同時に従業員の出入口へ視線を向けた。僕はそこに立つ意外な人物に驚き、声を漏らさずにはいられなかった。

「ゆう……な……」

そこに立っていたのは、クラスメイトの優奈だった。綾音さんが用意したのだろう、白のフリルがふんだんに使われた、ゴシックとかいう感じの服だ。

「やっぱり似合ってるわね。私のお古で悪いけど、仕事着だから我慢してね」

「いえ、可愛い服で気に入りました」

そういって、優奈はその場でくるりと身体を回して見せる。最後に僕に向かって「かわいいでしょ?」と問い掛けるように首をかしげてみせる。

「優奈、君がどうしてここに」僕は彼女に聞かずにはいられなかった。

「バイトの募集してたから、ここで働けば心也と一緒に居られるかなって」

「あら、知り合いだったの? そういえば、心也くんと同じ学校だったわね」

「えぇ、同じクラスですよ」

「はい、心也の彼女です」

僕たち二人の声は、ほとんど同時だった。しかし、言っている内容は二人とも違っていた。僕は驚いて優奈を見た。

「あらあら、心也くんったらこんな可愛い彼女が居るのにほったらかしで、私のところに通ってるなんて。悪い子ね」

「優奈。君とは名前で呼び合う位には仲が良かったけど、恋人なんかの付き合いじゃなかっただろう? それにあの日以来、話すらしてないじゃないか」

僕は綾音さんに変な誤解をされるのが、堪らなく嫌で必死に否定した。

「心也こそどうしてそんな事いうの? 一寸した行き違いはあったけど、心也は私に優しくてそばに居てくれて。私達、恋人同士じゃない。忘れちゃったの?」

優奈がすがるように、必死に言葉を続ける。

「学校が終わったらすぐに帰っちゃうから、心也がどこに行ってるのか気になったの。でね、追いかけたらここに着いたの。この一ヶ月、毎日ここに来てるってわかったの。思い切って中を覗いたら、私の好きな穏やかな顔で笑ってる心也が居たの。あぁ、ここに居れば心也の笑顔が見れるんだって、そう思ったの。だからね、心也が店先にバイト募集の紙を張ってる時、飛び上がる程嬉しかった。心也が私の居場所を作ってくれたんだって。心也とまた一緒に居られるんだって」

優奈の目には僕しか映っていなかった。この一ヶ月何があったのかわからないが、彼女は僕の事を好きで好きで堪らないと、必死になって訴えている。

だけど……

「でも、優奈さん。心也くんは私としか寝たことがないって、言ってたわよ。それは、嘘なのかしら」

優奈が身を硬くして驚く。その言葉には僕ですら驚いた。だって僕と綾音さんは。慌てて綾音さんを見る。彼女はにっこりと笑って軽くウインクして見せた。

狂言。その合図で悟った。僕と優奈の間の変な空気を悟った綾音さんが、気を利かせてくれたんだと。僕は口の中でもごもごと言葉にならない声を出す。優奈の驚く視線から目を逸らす。こんなときの無言は、言葉以上に効果的なはずだ。

「そうなんだ、心也。そうなんだね。私一人で空回りしてたんだ。あはは、馬鹿みたいだね。ごめんね。でも、私のことは忘れて欲しくないな……」

優奈はそのまま何かを呟きながら、僕達から離れて店を出て行った。

「ごめんなさい、変なことに綾音さんを巻き込んじゃって」

「心也くんが気にすることじゃないわよ。採用したのは私だしね」

残された僕と綾音さんの間に、気まずい雰囲気が流れる。

無言で見詰め合う僕と綾音さんの横で、窓ガラスを叩く音が聞こえる。僕らが音につられ視線を向けると、そこには優奈が立っていた。

優奈は微笑んでいる。この世の絶望を全て受け止めたかのように、切なく悲しい微笑み。僕は身を硬くする。ガラス越しに見える優奈が、口を動かす。

「バイバイ、心也」

僕の名前を呼んでいる。身じろぎ一つ出来ない僕の目の前で、優奈はゆっくりとした動きで、ポケットからナイフを取り出すと自分の首元に当てた。

「まっ!」

僕は慌てて立ち上がり、叫ぶ。ガラス越しの彼女は僕に微笑みかけると、一気にナイフを首に突き立てた。一瞬にして目の前のガラスは、首から噴出す優奈の血で真っ赤に染められていく。僕はガラスを伝って流れる血と、倒れこみガラスに張り付いている優奈の血まみれの微笑から目を逸らす事が出来なかった。

「困ったわね。お掃除大変だから、心也くんも手伝ってね」

目の前の凄惨な光景とはあまりにもかけ離れた、おっとりとした声が僕にかけられる。僕は違和感を感じて窓に張り付いた視線を引き剥がし、目の前に居る綾音さんに向けた。

彼女はいつもと変わらぬ優しい笑顔で、僕に微笑みかける。

「死んだら、全部なくなっちゃうのにね。お茶、新しく淹れるわね、心也くん」

そこには本当にいつもと変わらない、綾音さんが微笑んで居た。

                                 完

あとがき -postscript-

皆様はじめまして。有栖山葡萄(ありすやまぶどう)と申します。稚作をお読みいただきまして有難う御座います。

「ヤンデレ」いいですよね。深い愛ゆえに歪みを抱えたキャラクターが織り成す世界は、まさに至高の愛情物語。「殺したいほど愛してる」なんて台詞、言われてみたいものです。いや、実際に言われるとドン引きかとは思いますが。

普段は「君が望む永遠(age)」の二次創作小説サークルとして活動しております。欝ゲームの代名詞ともなっている作品ですが登場するキャラクターの現実味あふれる葛藤や闇が発売6年経った今でも創作意欲を掻き立てる名作です。ちなみに、当サークルでは、「お呪い遙」の名称で黒遙が暗躍しています。

さて、今回はmixiヤンデレコミュニティ「ヤンデレカフェ合同誌」に参加させていただきました。この場を借りて、企画の取り纏めをされた逝丸様にお礼申し上げます。

では最後に。この作品をお読みいただいた読者の皆様に感謝を。また縁がありましたら、どこかでお会いしましょう。

                                      2007年03月21日 有栖山葡萄 拝

「ヤンデレ冷蔵庫」あとがきより

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