君が望む永遠 二次創作小説シリーズ

Kiminozo Novel Series 00

夢幻
〜むげん〜

有栖山 葡萄

7月27日(金)


ぼんやりと微かに聞こえる音

うっすらとその音は靄がかかったように私を包み込み覆い被さる・・・・

何かわからない・・・

どこかで聴いたような・・・記憶の片隅・・・・・

忘れてはいけない大切な聴き覚えのある音

だけど思い出せない・・・・

不安と苛立ちの中の・・・

・・・・目覚め・・・

「ん〜〜〜今日もだるいわねぇ・・・・」

私は伸びをしながらそんな独り言を呟いた。

朝一番の言葉がこれじゃ駄目よね。

しっかりしなきゃ。

今日も一日がんばんなきゃ。

気を取り直して会社に行く支度を整える。

鏡の前で確認してからダイニングに向かうとすでにテーブルには朝食の準備ができていた。

「おはよう、水月」

「おはよぉ〜」

「大丈夫?あんまり顔色がよくないようだけど。それに最近調子悪そうにしてるし。どこか悪いんじゃないでしょうね?前から心配だったんだけど…まさか妊娠とかじゃないでしょうね?」

「え?違うってば、そんなんじゃないって!少し眠りが浅くてだるいだけだから」

「本当にそうなの?それならいいけど・・・・それにしても心配事でもあるの?」

「う〜〜ん、私にも良くわかんない。あはは」

「まったく、あなたって子は・・・早くご飯食べなさい」

朝食を取りながら交わす会話。

さすがに母親の目はごまかせない。

それ以上に今の私は隠すことが出来ないくらい疲れているみたい。

「水月、今日はどうなの?」

「ん?どうって何が?なにかあったっけ?」

「今日は泊まりなのかって聞いてるよの。鳴海さんのところに」

「ん〜〜金曜だし泊まることになるかな。たぶん」

「そう・・・」

「どうしたの?」

「若いうちはいいけどそろそろちゃんとした形も考えないと」

「まだ早いわよ・・・そんな話」

「そうは言ってもね・・・今のあなたを見てるとね・・・」

「あっいっけない!時間だわ。

行ってきます!」

「はぁ・・・気をつけていってらっしゃい。

少しは気にして考えておきなさい。

いいわね」

「はいはい、それじゃ行ってきます!」 最近母親から言われる・・・

孝之との事。きちんとした形。

それが結婚を意味していることだってくらいわかってる。

今の半同棲のような生活を良く思ってくれる親なんて居るはずもないことも理解できてる。

私だって出来ることなら孝之とずっと一緒にいたいし結婚だってしたいと思ってる。

でもそう思えば思うほど、同じくらいの不安が押し寄せてくる。

『本当に孝之は私のことを見てくれてるのか』

孝之が知らない事。

私が自分の全てを投げ打って彼のそばに居つづけている状況。

ううん、違う。

私は孝之のことが誰よりも好きだった。

その彼が苦しみ生気もなく虚ろな目でなにも見ていない・・・ そんな姿を見ることが絶えられなかった。

そして何も出来ない自分を腹立たしく思った。

だから私自身の為に彼を支えた。

自分の幸せの為に。

何も犠牲になんかしてない。

私は・・・私は望んだ・・・ 孝之と一緒にいたい・・・孝之と笑いあって暮らしたい・・・ それが私が望んだ生活。

でもそれは遙が突然居なくなったから。

遙が居なければ私は一番になれる。

だけど・・・死んでしまったわけじゃない。

遙は生きている。寝ているだけ。

そう・・・目が覚めてしまったら一瞬にしてこの生活が消えてなくなってしまうかもしれない・・・ どこかそんな不安がある。夢なんじゃないかって。

幸せなのにいつまでも拭いきれない不安。

お願いだから・・・私から孝之を取らないで・・・

おねがい・・・

規則正しく響く冷たい電子音。

もうどのくらいの時間その音を聞いたのか覚えていない。

静寂だけが支配しているその部屋で唯一感じられる時が流れている事の証。

そして姉さんが生きている事の証。

呼吸をしていることすら分からない事がある。

本当に姉さんは生きてるって言えるの?こんな状態で・・・

姉さんが事故に遭った三年前の夏・・・

毎日来ていた鳴海さんが急に来なくなった二年前の秋・・・

鳴海さんがあの人と街を歩いてる姿を見かけた一年前の春・・・

そう・・姉さんの最愛の人はもう居ないっていうのに。

あの幸せだった時間はもう過去になってるっていうのに・・・

姉さんがずっと寝てたから鳴海さんいなくなっちゃったんだよ?

起きてくれないから・・・姉さんの好きな鳴海さんはあの人と幸せそうに暮らしてるのよ。

どうしてこんな目にあわなきゃいけないの・・・

こんなの許せない。

姉さんを置き去りにして二人が幸せにしてるなんて・・・

ううん、ちがう・・・本当に許せないのは私の鳴海さんが居なくなった事・・・

お見舞いにもこなくなって次に見かけたときは楽しそうに街を歩いている・・何もなかったかのように・・・

鳴海さんが苦しんでる姿を見るのはつらかった。

でも励ましていることで私の悲しみも救われていた。

そして何よりも鳴海さんのそばに居ることが出来た。

なのに・・・姉さんが親友だって言ってたあの人は・・・

あの人は鳴海さんを・・・

もう三年・・・三人で過ごしたあの夏から・・・

永遠に続くと思っていた時間。

望んでもかなわない・・戻らない時間・・・

「姉さん、今日はもう帰るね」 そう声をかけて病室を後にした。

伝えたほうがいいのかもしれないわね。

おそらく数日のうちに彼女が目を覚ますと言うことを。

脳波等の数値の変化を見る限り今までとは違う傾向を示しているのは明らかだった。

しかしそれを『目覚め』と関連付けるだけの確証がないというのも現実だった。

──予感──

ふぅ・・・

医学に携わる者がそんな非科学的なもので判断するなんてどうかしてるわね。

三年・・・長い時間よね。

これから何が起きるのか・・・

なんにしても何らかの動きがあると見るのは間違いないわね・・・目覚めか・・・あるいは・・・・

「関係者を集めて頂戴」

「とまぁそういう事情で準備をしておきたいので。

それと念のためご家族のほうには私から説明をしておくつもりです。

話は以上です。

なにかございますか?」 簡潔に状況から推測される事態を事例を元に説明し終了した。

一同からは賛同とも否定ともつかない表情と声しか得られなかった。

こういう結果になるとは容易に想像できていたけれど・・・

「では、皆さんよろしくお願いします」 私は頭を下げ会議を終了した。

期待はしていなかったが得られるものも無く。

全く脳外科の権威やらなんやら・・・何の役にも立たないものね。

まぁ所詮は肩書きだけで食ってる連中か・・・

あとは私の出来る最善を尽くすまでね。

「天川さんと星野さんはちょっと残って頂戴」

「香月先生、なんでしょうか?」

「はぁ〜〜い、どうしましたぁ〜」

「あなたたち二人には彼女の・・・涼宮さんの状態を今まで以上に注意して欲しいの。今後の状況はできるだけ細かく把握しておきたいから。いいかしら?」

「はい、わかりましたです!」

「天川とお?こいつすぐ無理するし」

「文雄っちそんなことないですっ!だた今出来る精一杯をやってるだけです!」

「だからそれが無理をしてるっていってんだろ?だいたい・・・」

「はいはい・・・・ここは病院、喧嘩しないできちんと仕事をする。あなたたち二人が担当だからって事ではなくこの事に適任だと思ってお願いしてるの。いいわね?」

「「・・・・」」

「返事は?」

「はいっ!」

「はぁ〜い」

「それじゃあ、よろしくね」   医局に戻り、椅子に体を預け考えた。

昏睡状態が続いていた彼女には天川さん星野さん二人を担当としてつけていた。

運動機能の維持のための施術をしてもらうためや、家族のケアを含めて・・・

しかしこれからの動きは微細なことでも見逃すわけにはいかない。

何かミスがあれば取り返しのつかないことになる。

理由はわからないけど・・そう私自身が訴える。

目が覚めていろいろなことが動き始めたら・・・ ふぅ・・・考えすぎはいけないわね。屋上で一服してくるかしら・・・

タバコを無造作につかみ白衣のポケットにねじ込んで医局を出た。

ん?あれは・・・・

屋上に向かう途中の廊下で涼宮さん、妹さんの姿を見かけた。

「あら、涼宮さん・・・ちょうどいいところに居てくれたわ」

「香月先生。お世話になってます」

「ちょっと・・・お願い事があるんだけど」

「はい?なんでしょうか?」

「明日ご両親と一緒に医局に顔を出してもらえるかしら?」

「えっ!?」

「あ、ごめんなさい、驚かせてしまって。少しお話したいことがあるの。そんなに大変なことってわけでもないから」

「何か姉さんの身にあったんですか?先生!」

「なにもない・・・とは言えないけど、そんなに心配することではないわ」

「心配するなって、そんな言い方じゃ心配しないほうが変です!」

「明日、詳しくお話します。伝言・・・お願いできるわね?」

「は、はい・・・。それでしたら明日午前中に伺うようにします。父も休みですし」

「そう、ありがとう。よろしくね」

「はい、それでは失礼します」  会釈をし足早に去っていく彼女の姿を見送り、その場を後に屋上に向かった。

彼女と言葉を交わして私自身正しい判断なのか未だ悩んでいる。

家族に話すべきなのか・・・

ただひとつ言える事は・・・・彼女に関わるすべての人が自らの強い意志をもって動かなければいけないって事かしら。

やはり私は・・・私自身の判断を信じる。

なんだろう・・・

家族を呼び出して・・・姉さんに何か・・・・

心配するようなことではないって・・・・

「『なにもないとはいえない』なんて、心配しろって言ってるようなもんじゃない」 明日・・・・か。一体何がおきてるって言うんだろう。

解決しようのない不安がぬぐいきれないまま学校へと向かった。

今日も彼に包まれる。

ゆったりと時には激しく・・・・

彼に触れられていると何もかも忘れられる。

水面の波紋が消えていくようにゆっくりと不安は薄れ熱を帯びた体から伝わるように心も熱くなっていく。

首筋を伝う指に体は痺れ鎖骨から乳房へ滑る指先に力を無くして行く。

乳房を螺旋状にゆっくりと這い上がる感覚に酔い、乳首にようやく触れられ意識は現実から引き離されていく。

何も考えない・・・何も考えられない・・・

ただ、その行為に没入していく・・・・

世界の・・・すべてが・・・

白く・・・・とけて・・・いくまで・・・

「疲れた」

「もぉっ、なにいってるのよっ」

「実際疲れるだろ・・・」

「せっかくの雰囲気台無しじゃない」

「そうか?」

「ねっ孝之〜〜私の事愛してる?」

「ばかっ!そんなこと恥ずかしくていえるかよっ」

「えぇ〜〜なんでよぉ〜〜〜」

「なんでってなぁ・・・そんなこといわなくてもわかってるだろ」

「言ってほしいんだけどなあ・・・・」

「馬鹿なこと言ってないで寝ろっ・・ほら・・・」 孝之の左腕が私の下に回り腕枕をしてくれた。

私のお気に入りの場所・・・

頭を肩に預け天井を眺める彼の横顔を眺める。

その顔は穏やかに微笑んでいた・・・かわいい。

そっと手のひらで頭をなでている・・・・心地いい。

「ねぇ・・・眠るまでそうしててくれない・・・かな?」 手が止まる・・・瞬間髪をクシャっとつかむ。

「しょうがねえなぁ・・・」 そう一言いってまたやさしくなで始めてくれる・・・・

彼のやさしい気持ちに包まれながら深い眠りへと・・・

「ねむっちまったのか?・・・・」 ・・・眠りへと落ちていった・・・

「・・・ずっと・・・一緒・・・だからな・・愛してる・・・」

そんな言葉を遠くに聞きながら・・・

7月28日(土)


・・・ツ・・・き・・・

  み・・つ・・き・・・・・・・・

  おわ・・・りよ・・・・

眠りの中遠い意識に感じる音・・・

靄のような音は朦朧としている私を覆い尽くした・・・

声・・・紛れも無く・・・

聞き覚えのある音色・・・

それは忘れるはずもない友達の声

靄の一部が分かれ人の形が浮かぶ・・・

ぼんやりと…徐々にはっきりと・・・

見覚えのある姿・・・忘れるはずも無い変わらぬ親友の姿

「はる・・・か・・・」 遠い意識の中私はその名前を呼んだ。

呼び掛けに答えるかのようにやさしくそして辺りが凍りつくような微笑をし、その影は語りかけてきた。

  ・・・水月・・・

  夢の時間はおわりだよ

  もう終わりなの・・・

  今度はあなたが闇の世界に・・・

  何も無い世界に行く番よ・・・

  そこは・・・私の居る場所なんだから・・・

  わかってるよね そんなこと?

  また・・・・会いましょう・・・

  待っててね・・・ばいばい・・・

「っ!遙っ・・・待って!」

靄が一瞬にして晴れた・・・・

あまりの驚きに私は飛び起きた。

いやな汗が体にまとわりついている。

「・・・・夢・・・・?」 横を見るといつもと同じ幸せそうな寝顔の孝之が居る。

周りを見渡すといつもと変わりない孝之の部屋。

そう、何もかもいつもと同じ部屋。

その事を確認して少し落ち着いた私は彼を起こさないようにそっとベッドから抜け出しキッチンで水を飲んで一息ついた。

今の夢を思い出す・・・

近頃聞こえていた音・・・

近頃感じていた不安・・・

今日ははっきりと聞こえた。

さっきの言葉はなに?

わからない・・・・

私は怯えている?

わからない・・・・

どうして?

わからない・・・・

何もわからない・・・

わからないから不安なんだろうか・・・

それとも・・・あの言葉のとおり・・・・

今が仮初めの幸せだと気づいていて

失うことを恐れているのだろうか・・・・

あの日からもうすぐ三年・・・

私の十八歳の誕生日。

遙が事故にあった日。

そして私が背負った罪の始まりの日。

ほんの悪戯心・・・・だったのかもしれない。

でも心から望んでいた。

他の誰でもない・・・彼がそばに居てくれることを。

孝之との思い出がほしい・・・ただそれだけだった。

たったそれだけの事だと思うはずだったのに・・・・

どうして・・・・

「あくまで可能性ということですので、その点だけは留意いただけますか」

「わかりました。

先生、よろしくお願いします」

「最善を尽くします」 父さんと先生のやり取りを最後に私たちは医局から出た。

香月先生の話は俄かに信じられない、たいした事ないなんて話ではなかった。

姉さんが・・・姉さんが目を覚ますだなんて・・・

可能性とはいえ、先生の口から『目覚める』なんて。

そんな言葉が聞けるなんて。

信じられない・・・だけどそれは望んでたこと・・・

家族みんなが以前のように暮らしていける。

そんなあたりまえのことが戻ってくる。

先生は三年間の昏睡によって記憶や思考にしばらく混乱が起きるであろう事や、筋力がまったくない状態であるのでそのリハビリに時間がかかることなどいろいろと具体的な事まで言っていた。

非常に稀なケースでさまざまな困難があるとも。

でもそんなことより姉さんが戻ってくる。

それだけで幸せな気分になった。

希望・・・・ようやくその光が見えてきたのかもしれない。

「それじゃ私先に出るね。

これから学校に行って練習してくるから」

「あぁそうか、がんばってきなさい」

「いってらっしゃい。

夕飯の支度して待ってるわよ」

「うん、いってきます!」 いつになく上機嫌で私は病院を後にした。

昼下がり・・・

「なぁ水月・・・八月の最後の週末・・・一泊だけど旅行にでも行かないか?」

「えっ?どうしたの急に・・・」

「まぁ・・・来月のシフトだと少し給料も多く入るし・・・ それに誕生日が近いだろ、おまえの・・・」

「へぇ〜〜〜どうしちゃったのよ?孝之からそんなこと言い出すなんて。ははぁ〜ん、さてはこの水月様に心底惚れたなぁ〜」

「ば〜か、ふざけてろっ・・・行きたくないんだな・・いいぞ別に」

「あっごめんっ!ごめんなさい!行きたいです!とっても行きたいの!孝之〜〜おねがい!」

「ったく・・・」

「へへへ・・・ありがとっ孝之」

「じゃあ出かけるぞ・・・」

「え?どうしたの急に?」

「行くとなったらまずは情報収集だろ・・・情報は足で稼ぐって相場は決まってるからな」

「なに変な刑事物みたいなこと言ってるのよ。

それに何も考えてなかったの?」

「あたりまえだろ・・・俺にそんな計画性あるわけないだろ」

「はぁ〜〜〜まぁ、それもそうよね」

「改めてそういわれるとむかつくな・・・」

「気にしないのっ!じゃあ用意するねっ」

「ったく・・あ、そのままバイトに入るからな・・・夜勤だから」

「えぇ?!せっかく外食でもしようかと思って気合入れた服着ようと思ったのに」

「仕方ないだろ・・・休日のほうが時給もいいんだから」

「はぁ〜あ、じゃあ水月ちゃんは一人寂しく孝之くんの帰りをおとなしくまってるとするわ」

「なんだかなぁ・・・まぁいいや、早く準備しろ」

「うんっ」 じゃれ合う会話・・・

何気ない日常・・・

こんな些細なことさえ幸せな気分になれる。

だから私はこの人を選んだんだ・・・

彼がそばに居てくれること・・・

それだけで幸せなことなんだと。

「準備できたわよ」

「じゃあ行くか」

「うんっ」 私たちはどこまでも澄み渡る夏の青空の下歩き出した。

遠くから暗く沈んだの雷雲が近づいていることをまだ知らないままに・・・

欲しいCDがあったことを思い出して橘町に寄ってから学校に行くことにした。

店内は発売になったばかりの新曲をBGMに流しながら賑わっていた。

人通りが見渡せるガラス張りの壁の棚に派手なPOPと共に大量に並べられて いてCDはすぐに見つかった。

時間もあまりなかったので一枚を取りレジに向かおうとしたときガラスの向こうに映る見覚えのある姿・・・

鳴海さんとあの人の姿が・・・視界に入った。

向かいの店先で旅行のパンフレットを見ながら笑い合ってる。

とっさに二人が視界に入らないようにそして二人の視界に入らないようにその場を離れ店の奥のレジへ足早に向かった。

どうして隠れてるんだろう・・・なんで私が逃げないといけないの・・・

ケースの軋む音が聞こえた。

知らずに手に力が入っていた。

怒り?悲しみ? わからない・・・だけど見ていることは出来なかった。二人のあんな姿・・・

どうして姉さんを忘れてあんなふうに笑えるの?

あんな幸せそうな顔が出来るの?

姉さんは目を覚ますかもしれない。

だけど・・・親友だったあの人も、そして大好きだった鳴海さんも、もう姉さんのそばにはいない・・・

裏切り・・・

そう・・・あの人たちは裏切った・・・姉さんの想い・・・・私の想い・・・なにもかも・・・

ゆるさない・・・絶対に許さない・・・

レジで清算を済ませ反対の通りへと続く出口に向かってその場を立ち去った。

顔を見ることが苦痛になる。

存在を、現実を認めたくない。

姉さんにはこんな思いをさせたくないこんなのは私だけで十分・・・

姉さん・・・このまま目覚めないで。

このとき初めて姉さんが目覚めることを心から拒絶した・・・・

あの人がいる限り私たちは幸せになれない。

だから私はすべての力を使ってあの人を否定する。

・・・絶対にあの人にだけは負けてはいけない。

そうしなければいけない・・・それが私の為。

何度となく心の中でそう繰り返していた。

「おかえり」

「はぁ。

ただいま・・今日も疲れた」

「おつかれさまっ」

「ほんと疲れたよ・・・バイト先にちんちくりんなくせに糞生意気なやつがいてな。そいつのせいで仕事以外でやたら疲れるんだよな」

「ちんちくりんって・・・それは可愛そうでしょ。

でも孝之を困らせるって言うんだから相当なもんじゃない?」

「口の悪さといえばそれはすごいもんだぞ?客に対して『おまえ』呼ばわりだわ、キレると『猫のうんこ踏めっ』だからなぁ」

「なにそれ?はははっ すごいわねえ」

「あぁ、仲間内じゃスカイテンプルの最終兵器と呼んでるくらいだぞ」

「でも、よくそんな子がクビにならないわね?」

「まぁな。

あの店長でなきゃ実際とっくにクビになってておかしくないな」

「例の変態店長?あれ?変わったんじゃなかったの?」

「あぁ、今度は落ち着いたいい人だよ。

前のとは比べ物にならない位な」

「あれ?じゃあどうして?」

「落ち着いてるというか何事にも動じないというか、ある意味凄い人だよ、実際」

「へぇ〜そうなんだ。

でも前の変態よりはよっぽど良いじゃない」

「まったくだ、それに明後日からは新しい子も入ってくるようだし。

ようやくまともな店になりそうだよ」

「ははは、それはよかったわね あ、そうだ。

そろそろだと思ってお湯張っておいたわよ 入ってさっぱりしてきたら?」

「おっ さんきゅ。

じゃあ入るとするかな・・・一緒に入るか?」

「えぇ?どうせえっちなことでも考えてるんでしょ〜」

「考えてないと思うか?」

「そうよねぇ・・・やっぱり。

いいや、私、後で入る」

「なんだよ・・・まぁいいか。

じゃあ先に入るわ」 孝之が浴室に入ったのでさっきまで眺めていた旅行情報誌を開いた。

楽しみだな・・・二人で旅行なんて・・・う〜ん、どこが喜ぶんだろ?

とりあえず調べたところを見てもらってそれからかなぁ。

せっかくなんだから二人で楽しめるところがいいな。

綺麗な景色見ておいしいもの食べてゆっくりと温泉なんかもいいなぁ。

こうしていくつもの想い出が出来ていく、そのことの幸せ。

本当はどこでもいいのかもしれない、孝之と一緒ならどこでも。

この時間は私のもの。

私と孝之のもの。

それは誰にも邪魔されることのない二人の為の時間。

幸せはこれからも続く、これからも。

7月29日(日)

孝之を起こさないようにそっと起き、静かにカーテンを引き窓を開けた。

夜半から振り出したのだろうか?窓から流れ込んできた空気は水の香りのする暑く重苦しいものだった。

私は窓を閉め、再びそっとベッドに戻った。

雲が黒く垂れ込め降りしきる雨に気持ちも重く灰色に曇っていた。

ぼんやりとしながら窓の外を眺める。

窓ガラスを雨粒が叩く音がする。

それはさざ波の音のようだった。

その音を聞きながら私はもう一度孝之に包まれながらまどろみの中に身を預けた・・・・・

  波の音・・・

  遠くに聞こえるのは波の音・・・

  海が近いのかな?

  孝之君と一緒に海に行きたいな 砂浜を二人でゆっくり歩いて・・・

  ね?いいと思うでしょ?

  夕暮れの砂浜を二人で肩を寄せ合って歩くの

  歩きつかれたらそこで座ってお話するの なんでもない話を

  日は沈んで星が輝きだすまでゆっくりと

  そしてね、二人は誓うんだ・・・・ずっと一緒だって・・・・

    夜空に星が瞬くように・・・

    溶けたこころは離れない・・・

    二人がそれを忘れぬ限り・・・

  素敵でしょ?二人は溶け合うように永遠に結ばれるの

  おまじないをする二人はね、ずっと昔から結ばれる運命にあったんだよ

  だからね・・・何があっても離れることはないの、なにがあっても・・・

  水月?・・・わかる・・・よね?

ぼんやりとした頭に雨の音だけが鮮明に聞こえる。

眠る前よりも音は大きくなっていた。

雨は強くなったのか、窓ガラスをたたく雨粒は勢いを増していた。

以前遙から聞いた記憶の断片なの?それとも私の見る幻?

どうしようにもなく不安な気持ちがとめどなくあふれてくる。

今そこに遙がいるような錯覚、責められているような気持ち。

私は何か間違ったことをしていたんだろうか。

過ちを犯してしまったんだろうか。

左手の薬指に光る二重の銀の輪を眺める。

特別な意味を持つ、ただのアクセサリーなんかじゃない指輪。

リングは繋がり・・・そして閉ざされたモノ・・・

二人を繋ぎ・・・そして二人の世界を閉ざすモノ・・・

私には何もない、孝之との繋がりそして孝之との世界以外。

ううん・・・わからない。

わからないわ、遙。

運命なんかじゃないの。

相手を愛しているという意志の強さ。

自分のすべては相手のためにあるとお互いに思う心のつながりの強さ。

それが永遠に結ばれる二人のために必要なもの。

だから、私は・・・なにがあっても孝之から離れない。

孝之は・・・私を愛してると伝えてくれているのだから。

二人で過ごしたこの時間が何よりの証なのだから。

なにも不安になることはない・・・なにも・・・

「先生っ!」 慌しくドアを開け飛び込んできたのは星野さんだった。

「ハイハイ、ここは病院なんだから慌てない騒がない。他の患者さんに不安を与えるでしょ。看護婦の基本よ。用件は・・・涼宮さんの病室ね?」

そう諭しながら白衣を羽織り足早に医局を出た。

あまりにも静かな、生を感じさせない廊下にリノリューム特有の足音が響く。

靴・・変えたほうが良いかもしれないわね。

状況とはかけ離れたことを頭の中では考えながら病室へと向かった。

一旦ドアの前で一呼吸置いて、ノックし部屋に入る。

そしてベッドに出来るだけゆっくりと近づきゆったりと声をかけた。

「おはようございます。ここがどこだか・・・わかりますか?」

「あ・・・あの・・・・・・病院・・・・ですよね?」

「そう、病院ね。どうしてここにいるか判るかしら?」

「えっと・・・・私・・・事故に遭って・・・・」 思ったほど記憶は混乱してないようで少し安心したほっとした。

「では自己紹介してもらえるかしら?」

「え?はい、涼宮・・遙。白陵柊高校三年です」

「っ! そうね・・涼宮さん。涼宮さんは・・・」

「あっ孝之君!私、孝之君と絵本作家展に行く約束してたの・・・それで事故に合って・・・孝之君まだ駅で待ってるんじゃないかな?孝之君やさしいからずっと待ってるかもしれない。どうしよ・・電話・・・電話しなくちゃ 孝之君に早く連絡しないと」

「落ち着いて、涼宮さん。孝之君って鳴海君のことよね?」

「えっ?そうです。どうして知ってるんですか?」

「彼が一番に病院に駆けつけてくれたの。だから知ってるのよ」

「よかったぁ・・・まだ孝之君が待ってたらどうしようかと思って」

「・・・・」

「早く会いたいなあ・・・・先生会ってもいいですよね?」

「えぇもちろん。でもその前にご家族に会うのが先じゃないかしら?みんなあなたのこと心配してるのよ?」

不安を与えないように落ち着き優しく諭すように話す。

「あ・・・ごめんなさい。

お父さんもお母さんも茜も心配してるよね」

「そうね・・・今ご家族の方に来ていただくから少し待っててもらえるかしら?」

「はい、お願いします」 自分の伸びた髪をいじりながら話す彼女と看護婦二人を残し病室を後にした。

「現状認識能力に著しい問題を抱えています」 家族を前に私は続けた。

「通常の事故で二・三日程度の昏睡が続いた場合にもあるケースですが、本人に時間の経過という事実が欠落することがあります。ただその場合は数日でその事実を周囲が伝える、あるいは本人が自ら気がついて補正します。ただ、今回の彼女のケースではその誤差が三年とあまりにも大きすぎる。そしてもう一つ・・・・伸びた髪や自分の身体の変化も認識できていない・・・・結論を言いますと今、彼女に真実を伝えることによる影響は非常に大きく、リスクも大きいと判断しました」

「それでは娘の時間は三年前のままだと?しかも伝えるわけにはいかないと?」 お父様の言葉に私は続けた

「ええ、現状では・・・ まず三年前という時間で彼女にはすごしてもらい、リハビリをし徐々に認知力を高めていく・・・という事がまず第一段階だと考えております」

「先生、では私どもは三年前ということで娘に接していけばよろしいのですね?」

「はい、その通りです。お願いします。くれぐれも刺激を与えないように。それと、彼女しきりに気にしてたので・・・鳴海君のこと」

「・・・そう・・・・ですか・・・」

「三年前ということになるとどうしても彼の存在は外せないと思います。

連絡を取ることは出来ますか?心情はお察しします。

しかしそれも今の彼女には必要なことですから・・・」

「わかり・・・ました。

明日にでも連絡を取ってみます」

「よろしくお願いします。

では、行きましょうか」

三人を連れ病室へと再び向かった。

7月30日(月)


  ・・・・・・

  おはよう・・・水月

  私もね・・・・起きたんだよ

  孝之君のことありがとう

  これからは私が居るから孝之君はもう平気だよ

  だからね・・・水月・・・

  もう必要ないんだよ・・・

  ね?・・・孝之君も言ってあげてよ・・・

  「・・・そう・・・だな・・・」

  ほらね?大丈夫なんだから

  心配しないで

  それじゃ私達、行くね・・・

  バイバイ・・・水月・・・

視界がぼやけてる・・・

なにこれ?涙?どうして・・・こんな夢みるのよ・・・

こんなのただの夢。どうしてこんな夢ばかり見るの?

孝之は私のそばにいるじゃない。それが現実じゃない。

どうして・・・どうしてこんなことを言われるの?

嫌、こんなのただの夢よ。そうに決まってる。

私がちょっと疲れてるだけ・・・・そんなのありえない。

遙が孝之と・・・また一緒になるだなんて・・・

遙が目覚める・・・まさか・・・でも目覚めたとしてもそれだけのことじゃない。

約束した、遙に私たちが付き合っているということを伝えることを。

そしてそれはきっと私とずっと歩んでくれるって事。

そう信じてる。そうに決まってる。

だから私はすべてを彼に、孝之にささげる。

不安がないなんていうと嘘になる。強がりになる。

だけど私は自分の意志を貫く。

それが私のただ唯一、たった一つの偽らざる気持ち。

翌日孝之の部屋に向かう途中、慎二君からの電話で遙が目覚めたことを知る。

自然と足は速くなっていた・・・孝之から聞かなければいけない事を聞く為に。

あとがき -postscript-

最後までお読み頂いて有難う御座います。

私の初めてのサイドストーリーはいかがでしたでしょうか?

「君が望む永遠」という作品をなぜか発売日 手にし始めたところ見事なまでにハマリまして、しかも「涼宮遙」というキャラクターに心奪われるというまでに。

Webでは「遙の病室」というCGIゲームを発表しこの度初めてサークル活動として作品を出展するまでになりました。

「君望」に出会わなければこのような機会はなかったでしょう。一人の人間を壊した「君望」という作品を世に送り出したageソフト様に感謝いたします。

皆様とは又何かの作品でお目にかかれる事を。

                        初出/2002年02月10日 有栖山葡萄拝

ということで、8年近く経ってから初めてのSSを公開、あるいみ後悔。

当時は三点リーダ(……)や行頭一字下げなど、日本語表記の基本も知らずに書いていましたが、当時のままでオンライン化しました。

今の作品との差を比較して楽しんでいただければと思います。

それではまた、別の作品でお会いしましょう〜

ご意見・恋文は【budouのaliceyama.jp】まで。

打たれ弱いのでご批判・果たし状は出来るだけソフトにお願いします:)