オオサンショウウオとクラゲの恋



 彼らの始まりは、ここからだった。
 学園の教室棟、最上階。
 一年の教室があるその最上階の更に上、見上げた天井の裏側。
 無限に広がる天空と彼らの住む町が見渡せる屋上が二人の出会いの場所だった。
 中庭が見渡せるフェンス際。
 再び、始まりの場所に二人は立つ。
 いま、永遠の始まりに二人は発つ。 
 すでにゴールデンウイークに入った学園には、クラブ活動に登校している生徒
以外姿はなかった。少年少女達の青春の掛け声が、遠く風に乗って屋上まで届く。
 二人は手を取り合い、お互いを見詰め合う
「ささら」
「……」
 彼女は答えることなく、彼の顔を見つめる。しかしその目は、彼を見ていない。
ぼんやりと焦点の合っていない目で。彼女はなにも、この始まりの景色すら見えて
いないのかもしれない。
「そろそろ行こうか」
 彼は彼女の手を強く握りなおした。その力に呼応するかのように、彼女も握り締め
る力を強める。
「……」
 彼女に言葉はなく。ただ彼の顔を表情をぼんやりと見ていた。
「それじゃ……」
 彼は空いた手で、目の前のフェンスを握り締める。
 すでに周囲を切り離していた金網は、ほんの少しの力で、大きな扉のように開け放たれた。
 空へと続く扉のように。
 彼らの永遠へと続く扉として。
「ささら、愛してる」
「……」
 彼女に、彼は微笑みかける。
 その表情に彼女が始めて呼応するように、彼に微笑み返した。はかなげな笑顔を彼に
向け、そしてその表情は一瞬で見失ってしまった。
 それでも彼の決心は変わらない。彼の彼女への想いは変わらない。二人の永遠の愛を、
確かなものにするために。
 それが二人の望むことだと強く信じて。
「いこう、ささら」
「はい……」
 二人は扉へ向かって踏み出した。











 その日は、本来なら登校しなくていい日だった。
 だからそれは、本当に偶然の出来事だった。その日その場所に彼が立っていたことは。
 千に一つ、万に一つ。
 いや、それ以下の確立だったのかもしれない。そしてそれは、人の出会いの常である
のかもしれなかった。
 彼はその場に立っていた。
 彼女もその場に立っていた。
 そして、二人は出会った。
「あの日が二人の始まりの日だって、私にはわかるの」
 そう二人を見ていた少女が、語る。そして「二人は互いに惹かれあったのだ」と。
 少女も彼のことを気にかけていた。いつも自分のことをクラス全員が呼ぶ「委員ちょ」
という役職ではなく、名前で呼んでくれる少年を、彼女は徐々に特別な想いで見始めていた。
しかし少女がその気持ちに気がついたのは、すでに二人が出会った後だった。
「だからかな。二人のこと、うらやましく思ってた。私が手に入れられなかったもの、
二人で見つけのだから」
 二人のことは良く知っていた。
 だから、二人の行く末もわかっていた。
 二人は互いを、深く求めていると。
 愛佳と名乗った少女は目を細め、少し憂いを秘めた視線を宙に向けるとつぶやいた。
「あみだ、外れてくれればよかったのに」
 彼女の最後の言葉の意味はわからなかった。ただ、それが彼らたち二人をつなぎ、
愛佳が彼とつながらなかった原因なのだろう。
 愛佳が立ち去ったあと、一人屋上を見渡した。
 彼らの通う学園は、小高いというよりもその周囲ではひときわ高い山に位置していた。
今は立ち入り禁止のテープも取れた屋上に立つと、周囲の山から青い匂いがする風が流れて、
肌をなでていった。暦では初夏というには早い時期だが、照りつける太陽と風は、すでに
春が終わり夏が近づいていることを知らせていた。
 切断されたフェンスも交換され、二人の旅立ちの扉はすでに固く閉ざされていた。
 彼らがどこに旅立ったのか。
 その行き先は誰一人としてわからない。
 そして、追いかけることすらかなわない。
 二人は、二人だけの世界へと旅立ったのだから。

 青い風が、また肌をなでていく。
 彼らの旅立ちの日は、どんな風が流れていたのだろうか。
 



「どうしたのだろうか?」
 彼は目の前の光景に、戸惑っていた。
冷やかし半分にあがった屋上にいたのは、女の子だった。身じろぎもせず、
じっと手にしたものに視線を落としている。
今この屋上の空気は、冷凍庫から取り出したばかりのウオッカのように粘り
そして身を凍らせるほどの冷気を帯びていた。
粘る空気とすべてのものが凍った世界で、二人はそれぞれの想いを抱えていた。

突如響く、まるで悲鳴にも似た、厚い紙を引き裂く音。
停止していた世界が再び回りだす。それも、止まっていた間に蓄えたエネルギーを
一気に爆発させるかのように。
「あっ!」
彼は思わず声を上げる。
その声に、初めて少女は振り向き、そして驚愕する。
二つに分かれた紙片が、彼女の手から零れ落ちる。
まるで彼女を裏切り、逃げていくように、風にさらわれ流れれ落ちていく。
「おいかけなきゃっ!」
理由は無かった。彼は自分の中にある何かが、そうしなければいけないと叫んでいる
ことを感じ、その想いのまま行動した。







その日の貴明の姿は、誰もが見ていられないものだった。
周りすら巻き込んで、負のオーラを撒き散らしていた。
いつもは気軽に声を掛けるクラスメイトですら、今日の彼には
誰も近寄ることが出来なかった。
先週とは明らかに違う彼の態度に、誰もが触れてはいけないと
自分に警鐘を鳴らしていた。「触ると何かが出てくる」という思いに。
そしてそれは、適度な刺激と好奇心に周囲のものを掻き立てるには
十分な素材であった。
誰もがその「素材」を調理してもらえないものかと傍観者として
遠巻きに眺めていた。

「よう、時化た面してんな」
彼に近寄り、そう明るく声を掛ける姿があった。
貴明の幼馴染だ。名前は向坂雄二という。
雄二は貴明と机をはさみ前に立つと、貴明を見下ろした。
哀れみとも、怒りとも、蔑みとも。知らないものには表情が読み取れないが
雄二は普段とは違う視線で、孝明の事を見ていた。
貴明は顔も上げることもせず、視線を向けることも無かった。
その光景に、クラスメイトたちは色めき立つ。
ようやく素材を調理してくれる料理人の出現に、
これからどんな料理が振舞われるのか、心躍らせた。

















・あとがき・

2006年GWに向けて、初のLeaf二次創作SS
さてはて、描き上がることでしょうか??